まるやの歴史
岡崎城の西、八丁(約870m)の距離にある、八丁村(現在は八丁町)にある、東海道を挟んで2社の味噌蔵、まるや八丁味噌、カクキュー八丁味噌の2社が江戸時代から、手を取り、時には競い合い、伝統製法で味噌作りを行っている。
第二次世界大戦時に、統制令により八丁味噌の生産は一時中止されるものの戦後5年後より、その伝統製法は守られ今も作られている。
1960年代よりアメリカへ八丁味噌の輸出を始める。そして1980年代にはアメリカの有機食品認証期間のOCIAの認証を取得して、いち早く有機(オーガニック)的で、伝統的な製法の継続的な味噌作りを始め、海外への市場へ乗り出していく。国内でも2003年有機JAS認定工場として認可される。
地域での働きかけとして、三河地方の地域ブランドサムライ日本プロジェクトに2007年創設時より参加し、現在では八丁味噌三河プロジェクトと称して三河産の大豆と地域の酒蔵の仕込み水を使った三河仕込の八丁味噌を製造するなど地域のフラッグシップ企業として地域と向き合っている。
2010年、78年ぶりに木桶を新調する。伝統を守るという事は、一社だけでは出来ない。その伝統製法を守っていく為に、それを支えるたくさんの職人さん達の職能が集まり伝統は後世に伝えられます、その一環として木桶を新調し、木桶職人の伝統を守って生きたいです。
沿革
- 1337年
- 開祖 弥治右ェ門が現岡崎市八丁町に醸造業を始める。
- 1560年
- 桶狭間の合戦にて徳川軍の「戦陣にぎり」と称し、味噌が兵食になったと言われている。
- 1603年
- 江戸幕府開府。東海道を通る大名行列・お伊勢参りにより、全国へその名が広まる。
- 1716年
- 八丁味噌の醸造は年間160屯。
- 1832年
- 勘定帳に、岡崎藩御用達として、御用帳を記す。(御用達のうち最高の地位にあたる十人組に名を列ねる。)
- 1833年
- 大田家が講元を勤める頼母子講に江戸老中松平伊豆守が名を列ねる。
- 1878年
- 八町村(八丁村)と松葉町が合併し八帖村となる。
- 1895年
- 第4回勧業博覧会褒章受賞。
- 1903年
- 第5回勧業博覧会褒章受賞。
- 1931年
- 合名会社大田商店設立。
- 1942年
- 第二次世界大戦による統制令により八丁味噌の生産は一時中止。
- 1945年
- 7月戦災の為、資料焼失。
- 1950年
- 統制令解除により生産再開。
- 1956年
- 八丁味噌に米こうじみそをあわせた調合味噌を新発売。
- 1968年
- アメリカへ八丁味噌輸出を始める。
- 1969年
- イギリス等欧州へ八丁味噌輸出を始める。
- 1971年
- オーストラリア・ニュージーランドへ八丁味噌輸出を始める。
- 1987年
- アメリカ有機食品認定機関OCIAの認証取得。
- 1989年
- 資本金165万円から1,650万円に増資。
- 1990年
- 合名会社大田商店から合名会社まるや八丁味噌に社名変更。
- 1996年
- 株式会社まるや八丁味噌に組織変更。
- 1998年
- 岡崎市商工会議所より創業660周年の認定を受ける。
- 2000年
- ISO9001審査登録
- 2003年
- 有機農産物加工食品製造者に認定。(認定番号013B004)
- 2003年
- ISO9001:2000へ移行。
- 2004年
- 愛知ブランド企業に認定。(認定番号017)
- 2006年
- NHK朝の連続テレビ小説「純情きらり」のロケ地となる。
- 2007年
- 三河の伝統、こだわりの商品を世界へ発信するサムライ日本プロジェクトに参加。
- 2007年
- 三河産大豆と奥三河の天然水で仕込む「八丁味噌」三河プロジェクト開始。
- 2008年
- 三河産大豆の八丁味噌が食品産業センターの「本場の本物」の認定を受ける。
- 2008年
- 経済産業省の近代化産業遺産に味噌蔵が認定される。
- 2009年
- ISO9001:2008へ移行。
- 2010年
- 78年ぶりに木桶を新調。
- 2015年
- ミラノ国際博覧会の日本館に八丁味噌協同組合の一員として出展。
- 2015年
- 岡崎に八丁味噌協同組合で石積みモニュメントを設置。
- 2022年
- 岡崎市の「町の区域設定」により「八帖町」から「八丁町」に変更。